10月/神無月 亥の子:志野焼と揚物

10月/神無月 亥の子:志野焼と揚物
彩りから質感まで 繊細な料理の決め手となる器

形の遊びも食の楽しみ。
亥の子餅を食す節目の日

今回の器は志野焼。1580年代後半の美濃地方が発祥で、白土にモグサ土を混ぜ、表面に長石釉を掛けて焼く。高木一雄さんは「現代では美濃地方に限らず、各地の作家が志野焼を作っていますよ。細かく入った貫入(かんにゅう:表面のひび割れのこと)に個性や味があって、アンニュイな感じが好きです」と語る。

志野焼にも様々な種類があり、今回使用した絵付けを施した「絵志野」をはじめ、白素地に美濃や瀬戸特産の鉄を含む土石などを混ぜ込んだねずみ色の「鼠志野」。白素地を赤ラクと呼ばれる土で化粧してから釉薬を掛ける「紅志野」などがある。「釉薬の厚薄、表情も手触りも一つ一つ違います。使い込むと貫入部分が色付いて、景色が増していく器でもあるんです」と高木さん。

今月の『京料理たか木』の献立は、亥の子餅。その名の通り、イノシシの子どもの姿を模して成形した餅に、細かく砕いたあられを掛けて揚げたもの。中にはほぐした渡り蟹の身とウニを合わせたあんが潜む、ほっくり美味しい仕立て。「志野焼には季節の葉などを添えて料理を盛ることが多い」と高木さん。あしらいのグリーンの間、器の中の小さな大地をウリ坊の兄弟が駆け回っているように見えて、何だか微笑ましい。

これは陰暦10月の亥の日の亥の刻(午後9時~11時)に、餅を食して無病のまじないとするという中国の俗習に基づき、日本でも平安時代から亥の子形に作った餅を朝廷で献上するならわしとなったことに由来する料理。イノシシは多産なので、子孫繁栄を願ったという謂れもある。『源氏物語』にも、亥の子餅を贈りあう場面が記されるなど、食の歴史は古い。農村では秋の収穫を終えた後の祭日としてこの日を祝うようになり、特に西日本で盛んだった。亥の子の神様を田の神様と信じた所が多く、石に藁を付けた亥の子石を持って子どもたちが家々を巡り、亥の子突きをする、という行事が今も残っている地方もある。この亥の子祝いが来ると、冬支度を始める節目の日でもあり、武家ではこの日を境に炬燵の用意を、茶道の世界では、炉を冬用に替えるそうだ。

今でも和菓子店ではこの時期、亥の子餅が店頭に並んでいる。亥の子の表情も各店それぞれ違うので、眺めて比べてみるのも面白い。そして何よりこの亥の子餅のように、食べ物で動植物の形を表現し、目でも楽しむという日本の食文化が豊かさを誇りにすべきだと思う。素材を単に調理し食べるのではなく、美しく飾り、楽しもうとする遊び心。行事風習も含め、その想いを大切に繋ぎたいもの。


写真/塩崎 聰 Photographs by Satoshi Shiozaki

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